R太のスパークリング日和

R太です。40代のおじさんです。男女2人の子育てと家事にフルコミット中。 どうにもならない日々のいらだちや喜びを書いてます。

きょうだいげんか考察

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きょうだいげんかは、英語では<sibling - きょうだい rivalry-喧嘩>。ライバルリーとはよく言ったもの。まさに、ライバルである。

あにき、だよぅ

兄である息子と娘の年の差2年と半年。初めて二人が対面したときの動画は感動的だ。息子が、赤子をゆったりなでながら「あにき、だよぅ」と言ったのだ。言語能力も低い時期。まさか、と思うが今見返しても、確かに言ってる。もちろん偶然だろう。しかし、その時我々夫婦は、いい兄貴としてやってくれる未来が約束されたと思った。

娘受難、の日々

しかし、現実は異なった。娘、受難の日々が始まる。叩かれ蹴られ、倒され、頭をゴツンとする日常。まぁ息子も責められない。まだまだ甘えたい盛り。突然現れた「ライバル」に必死だったのだろう。そして3年以上たった今はどうだ。相も変わらず戦闘は続く。最近は娘の力が強くなってきてるので、フィジカルの戦いがすごい。

顔面をかきむしる、蹴りまくる。結果、お互い鼻血がでたり、ひっかき傷ができたり。ちょっとボキャブラリーが増えた息子が挑発して、言葉で泣かせることも。しかし、そこは負けていない。おしっこを漏らすという反撃をしでかす娘。これはキツイ。この手の喧嘩→おしっこの流れで床を汚されたことも数え切れず。果たして、仲良くなるのはいつのことか途方に暮れる。

どうして喧嘩するのか?

うちの子をよくみてみると、喧嘩のポイントはただひとつ。

不平等に対する憤り

 これである。

さっそく今日の行動で読み解いてみよう。

 

1.不平等 エレベーターのボタン編

息子と娘を義父母の家に預けるので、電車で二人を連れて30分ばかり旅をした。
改札に向かうエレベーター。最初に上昇ボタンを押した息子に怒る娘。「私が押したかった」。しらーっと聞き流しつつ、中に入ってやっぱりボタンを連打する息子。また怒る娘。はい、きましたボタンの取り合い。すぐさま、同時に押せばと提案。3・2・1はい!で同時に押させて順番をウヤムヤにし、勢いで喧嘩をさばいく。

2.不平等 動画端末編

電車の中でなんとか座ると、Ipadタブレットを即座に出す私。(ココらへん最近躊躇しない、子供のため云々じゃなく自分のために)順番に見てくれと、提案。すると、ここでまた喧嘩勃発。どちらが先かで争う。じゃんけんで息子が勝ったので渡して見せるも、ずるい、見たいと泣きわめく娘。はい、きた。そう、同時に見たいのだ。相手が見てるに、自分が見てないのが我慢できないのだ。息子はタブレット、娘は私の携帯でYOU TUBE。これで、なんとか解決。

3.不平等 父のポジション取り編

次から次へやってくるきょうだいげんか。こんどは、私の隣のポジション争い勃発。娘・息子・私の並びが我慢できなかった娘。静かな車内で暴れ始める。そこで間髪入れず、尻を二人の間にねじり込んで、二人平等に隣り合う形で解決。父さんを取り合うといえば、喜ぶ父親は多いかも知れないが、私はそうでもない。獰猛なピットブルに双方から食らいつかれるジューシーなお肉の気分。二人を満足させるのって結構きついのだ。

名監督の采配が重要

このように短い間でも争った二人。私が心がけることそれは…

とにかく平等にすること。これのみ。

ライバルなのだ、きょうだいは。どちらが上とか、下とかない。これを忘れてはいけない。ライバルと考えると、よく言われるあなたは「お兄ちゃんなんだから」という言葉がいかに良くないかがわかる。

例えば同じ野球チーム内でライバル投手の一方だけ重宝したりしたら、もう一方は嫌だろう。下手したら、やる気がなくなって力が落ちたり、最悪、チームをやめて不良になってしまうかもしれない。ライバルなのだから、平等に扱い、うまく向上しあってもらうしかない。

一人っ子にはない、このライバル関係。今後もうまくさばく名監督の采配が問われる。

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蹴り合いに発展する直前の彼ら