いまさら牛乳が体に悪いって言われてもね!のスタンスで調べてみた
前々から気になっていた牛乳不健康説。
まず、はじめにスタンスとしては牛乳はやめません!ていうかやめられない。
もはや、子供たちもかなり飲んでしまっている手前。給食もほとんど牛乳であるし。まぁ、毒物ではないし、カルシウムなどの栄養素はやはり群をぬいている。と思っている。
そのスタンスで、何が不健康なのか一応調べてみた。
結論からいえば、こういうことである。
牛乳自体は確かに抜群にいい栄養ドリンクである。
問題は環境であったということである。
牛が、広い大地で自由に恋愛をして、妊娠して子にあげるために母性的に出てくる牛乳は、とても良い。
しかし、もちろん、そんなぬるい感じでは、全国のスーパーにあれだけ並ぶはずがない。日本国内の乳を出す牛は、だいたい、狭めの牛舎に入れられて飼われる。
そして、乳を年中出すために、人工授精を繰り返すのだ。
産後2ヶ月でまた人工授精、産んで、また人工授精と。
これを繰り返していると、つねに女性ホルモンが出てしまい、それが牛乳に混入し、乳がんの原因になったり、各種がんの要因になる。
ストレスのある環境は、病気にもなりやすい。病気になってものんきに回復を待ってられないので、薬を投入し治療する。その薬の成分だって乳に入らないわけがない。
もちろん、牛自体がある意味商売道具として飼われるので、仕方ないのは仕方ない。だが、生命体に無理をさせると、そこから出てきた成分にも無理が反映されるのだ。
女性ホルモン、抗生物質、etc。
なるほど、たしかにそうだなぁ。
人間だって、ストレスフルな環境で過ごせば、血尿が出たりいろいろな不具合がでる。牛だってそうなのだ。
昔、柔らかい極上の牛肉にするために、わざと牛を溺れさせて、這い上がらせるということをしていたのをみた。中国だったかな。あれは、筋肉を動かさせて美味しい肉体にするものだ。はっきりいって、残酷といえよう。
しかし、私も焼き肉が好きだし、結局はそういう残酷面は目をつぶって、生きている。
牛さんに快適な環境で過ごしてもらって、極上の牛乳ができても、それが1リットル1,000円もすれば、やっぱり嫌なわけである。
ネットでは牛乳ダメ派とイイ派がひしめき合っている。
しかし、論点はそれぞれちがうので噛み合っていない。
ダメ派はヴィーガンに代表されるように動物愛護の精神だ。
反対にイイ派は、そういった劣悪環境面にはあまり触れず、乳糖不耐症(おなかゴロゴロするやつ)はそれほどじゃない、とか、栄養面では他の追随を許さないとかいっている。
どちらの意見も嘘ではない。
となると、自分がどういうスタンスになるかであるが、はじめに述べたように、これからも飲むであろう。
しかし、ちょっと減らそうとは思っている。それなりに、牛さんストレス説は正しいし、それ以上に地球温暖化において、牛はかなり劣勢なのだとわかった。
肉にしろ乳にしろ地球上でみんなが牛さんを求める。好きだからね。そうすると、場所が必要になり、森林を伐採して農場を作る。この伐採ペースが半端ないらしい。
あと、牛さんが放出するゲップや糞尿にかなりのメタンガスが入っているらし。1トンのメタンガスはCO2でいえば23トン分!メタンガスが殺人的に温暖化に貢献してしまうのである。
森林伐採、メタンガス放出。なぜ、小泉進次郎環境大臣がステーキを食べて怒られているのかわかった。
少なくとも、あの場所でのパフォーマンスとして分厚いステーキを食べるのは、その背景の森林伐採などが見えてない、無知やろう!と謗られても仕方ないのだね。
牛乳は、最強の栄養ドリンク!と思っていたのだが、そこには牛が牛乳を作る道具となっている背景があり、地球温暖化の問題すらある。
ちなみに、乳牛は最高6年くらいで乳がでなくなり、廃牛となるらしい。廃人ならぬ廃牛。人間のために体を酷使する牛さん。
せめて出来るのは、飲むときに命をいただきます、と祈ることくらいだろう。
(祈っても成分はよくならないが…)
とんでもない頻尿が治りつつある
頻尿である。
映画は1時間もたない。
酷いときは、おしっこをしたあと、20分以内にまたしたくなったりする。
大変である。
病院に行っても、あまり深刻な顔をされない。はっきりいって治し方がわからなかった。
頻尿の人はわかると思うが、観劇するときとかに、端でないといけない。真ん中あたりで尿意を催すと、他の客に迷惑である。と考えるだけで、尿意が止まらなくなる。
そんななかでも最強に危険なのが、長距離バスである。
トイレがついてない長距離バス。もうこのパワーワードだけど、おしっこ漏らしそう。
でも、どうやらとうとうそれに乗らなくてはいけない日が来てしまう。こどもの付き添いで、キャンプに行かなければならず、交通がバスである。エクストラマネーを払うから、電車にしてほしいという個人の願いは叶わないようだ。
さすがに子どもの前でおもらしはできない。
大人用パンパース?いけんのかそれは。絶対いきたくない!
だいたい、ズボンの股間あたりが膨れ上がらない?赤ちゃんなら可愛いけど、いいおっさんはいかがなものか。
頻尿といえば、夜間がおなじみ。おじいちゃんとかの頻尿はだいたい、夜だもんね。
もちろん、夜間も活発です、私。だいたい、1時、2時半、3時45分とかいう感じで3回位起きちゃう。妻からは「いいじゃん、夜間警備員みたいで。安心安心。」…と適当なことを言われる始末。
だがしかし、10年来悩まされた頻尿であるが、治りつつある。
ちょうど一ヶ月前からはじめた療法。
- ノコギリヤシサプリ一日2粒
- 珈琲断ち
これだけである。
サプリは必ず飲むことを自分に課し、毎日呑んでた朝の珈琲をやめた。
まず変化は、映画で訪れた。二時間超の映画でまったく尿意を感じなかった。最近のクルマの渋滞でも余裕。渋滞ってだけで、尿意があったのにね。
サプリと珈琲どっちが効果があるかはわからない。しかし、確実に効果が現れている。
とくに、ノコギリヤシのアフィリエイト目的ではないことは、広告を貼らないことでおわかりいただけるだろう。
もし、40代で頻尿に悩んでいたら、この2つを実践してみてください。
珈琲呑んでない人は、サプリのみだな。秘訣は毎日継続することね。
傷だらけの人は、傷だらけの人を癒やすことができる
高齢ひきこもり問題が、にわかに脚光を浴びている。もちろん、マイナスな面で。
当然のごとく、ひきこもりは、エボラ出血熱などのように突然降ってわいたウイルスではない。以前からあった問題を放置したツケが回ってきたのだろう。ツケはあとになるほど、回収が困難になる。
この引きこもり問題については、色々な意見が散見する。自己責任的意見や、寄り添う社会になろうなどなど。いろいろだ。
個人的には、高齢になったひきこもりの方々が社会にリターンしてくるのは、とても難しいと思っている。早いうちに手を打つべきだったのに…と半ばあきらめムード満載である。
それでも、なんらかの手があるとしたら、マイナス要素がもつ癒しのポテンシャルである。
かくいう私。かつてうつ病を発症し、引きこもった経験はある。
まぁ、今考えると自宅ひきこもりは1年ちょいくらい。可愛いもんだ。しかし、ひきこもりが終わったのは、自殺未遂→精神科への半強制入院なので、実際は可愛くはない。
さて、ひきこもった経験をもつものは、あの闇をどう表現するだろうか。
私は、どうだったろうと考える。一日中何をしていたろうか。あ、たまにパチスロには、なぜか行っていた。頭を空っぽにしたかったからである。
ひどい状態で覚えているのは、今でいうガラケーで、朝から晩まで一日中テトリスをしていたことだ。本人としたら、自覚がない。気付いたら、20時間くらいが経過していたということである。
ご飯も食わず、あんな単純ゲームをである。ふと気づいた夜中、俺の頭は本格的におかしくなった…と絶望したものだ。
ひきこもりから程なくして、友人からのどうしてんだ?仕事やめてから?みたいなメールにも反応できなくなった。
付き合っていた彼女(5年も!)とも、無言で距離をおいた。自然消滅狙いだ。
ひきこもるごとに、徐々に、外とのつながりを消していった。そして、実家にいたので、話すのは両親のみ。はれて、りっぱなひきこもり家族のできあがりである。
もちろん、親のストレスもすごいだろうが、本人のストレスもすごい。睡眠障害に加え、ストレス性のアトピー性皮膚炎も発症。かゆいし、眠れないし、家を出れないし。
となると、やっぱ、死にたくなるんだよなぁ。
もちろん、主に日中家にいる母親へ暴力はしていないが、恨み言をクドクドと話していた。今考えれば、ひどく哀しい惨状であるが、このときの感情で最も強かったのが「恥」である。この状態が、本人としては恥ずかしくて仕方なかった。
誰にも知られたくなかったのである。
紆余曲折しつつ、私はひきこもりから強制的に外に出され、入院したわけであるが、そんなになった自分の存在自体が、恥ずかしくてみじめで仕方なかった。
いっそ、死んでしまいたいと思っていた。だが、病院にぶちこんだ両親への恨みは不思議とそれほどなかった。というか、人生に疲れ切って、恨むパワーもなかったのだろう。
ところがココで意外なことが起きた。
病院には、「恥ずかしい人たち」がいっぱい居たのである。つまり、私いや、私をしのぐ強者たちが沢山いたのだ。
まずもって、私と同部屋の横に寝ていたおじいさん。話してみると、内装業を経営していたが、借金で騙され、そのあと、宗教妄想にとりつかれ、精神を病んだとのこと。歯もボロボロである。なんと、そのじいさんの兄も同時入院していたのだ。ちがう病棟に。
このおじいさんに、私はかなり救われた。
慣れてくると、ちょっとした談話のスペースがあることに気付いた。わらわらと男女の病んだ人たちが集まって、身の上などを話している。タバコをすったり、コーヒーを飲んだりしながら。
私はある日、そこに勇気を出して加わってみた。そこで展開される話は、恐ろしいほどひどい体験話ばかり。
あぁ、俺だけじゃないんだ。いや、俺なんかレベル低いじゃないか、と思えた。
私が身の上を話すと、それはそれで深刻な顔で聞いてくれる彼ら。しかし、彼らは話の途中で脈絡なく、ふとどっか行ってしまうことも。それに対しては、みな無関心。
なぜなら、精神が不安定な人たちであると、皆が認識しているからだ。途中でどっかいこうが、突然怒ろうが、泣こうが、淡々と見ているだけである。
この心地の良さは救いだった。みなが、ここにいる人たちの弱さを認識している場。
自分がどのように振る舞っても、問題にされない。そう認められているその場所。
そういう磁場には優しさが自然と漂う。
この場所が、私の回復の一助となったのは言うまでもない。
もちろん、人を殺めた人間に同情の余地はない。
しかし、重度のひきこもり者たちは、同時に、同じ立場の人間を癒やすことができるポテンシャルを秘めている。
役所や、専門家だって、無力だと思う。なぜなら、最終的に人間が求めるのは共感だからだ。弱者支援をしていようが、現在、人生が安定している人たちに重度引きこもり者への共感は生まれない。支援者が、どれだけ自分の悲惨だった体験を過去からピックアップして共感しようと、無理だ。その比ではないから。
そういう意味では、そのようなヘビーすぎる経験を積んでいる、重度ひきこもり者が、ただただ苦しんだ末、塵くずのように消えていくのはもったいないと思う。
ましてや、親に臭いものに蓋をするがごとくその命を消されるなんて…。
かつて、私は病からの回復期にいい言葉を集めていた時があった。その時に出会ったこの、星野富弘さんの詩。
わたしは傷を持っている。
でもその傷のところから、
あなたのやさしさがしみてくる。
(星野富弘)
傷をもっていることは、悪いことではない、むしろいいことだと肯定してくれる詩。
また、精神病棟での経験を通して、以下の詩もいいなぁと思った。
よろこびが集まったよりも
悲しみが集まった方が
しあわせに近いような気がする
強いものが集まったよりも
弱いものが集まった方が
真実に近いような気がする
しあわせが集まったよりも
ふしあわせが集まった方が
愛に近いような気がする
(星野富弘)
私は、論理的な思考や効率的な考え方も好きである。生きる上では必要だからね。
でも、悲しみも弱さも不幸せも世の中には、絶え間なく起こっている。
今を楽しく過ごしているとき、そういったことにさらされている人たちのことを思いやることも忘れてはいけない気もする。
いつか、また、苦境に立たされることも有るだろう。そのときに備えて。
難病にたいする配慮ね
映画での佐藤浩市さんの発言が問題になっているようだ…。
潰瘍性大腸炎患者からすると、難病への配慮はやっぱり必要だと思うなぁ。
なんせ難病は、原因も不明だし、なんだかんだ、一度罹患したら現代の医療では完治できない病気だからね。
a-ruta.hatenablog.com
そういえば、安倍さんが同じ病気と知った時は、なんだか嬉しかった記憶がある。
それは単純に、この病気に対する手厚い配慮が望める!というどうしょうもない利己的な気分からであった。
現実的にはとくに、首相と同じ病気であろうとまぁ、普通の難病の手当が助成されるくらいであったが。(現在、自治体では患者が増えすぎて、どんどん助成が削られているが…)
勝手に想像するに、安倍首相が辞任した時はかなり腹が大変な時期だったのだろう。
大腸炎の燃焼期である。
それから、それまで認められていなかった新薬が認証されて、かなりの患者が寛解期を迎えた(気がする)。
かくいう私も、薬が変わってから、ほぼ普通の生活を送れている。まぁ、もともと直腸型のさほど重くはない症状ではあったが、でも血便とかがざらだった頃に比べるとかなりよくなった。
今問題なく執務をこなしているということは、やはり新薬が影響しているのだろうね。そんで一旦よくなると、薬を続ける限りさほど悪くはならない感がある、この病気は。
まぁ、でも正直な気持ちをいわせてもらえば、潰瘍性大腸炎の症状は腹痛だけではないからね。私の場合はかつては血便、いまは得体の知れない口内炎である。
だから、潰瘍性大腸炎=お腹ゆるいというのもまぁ、ポピュラーな症状ではあるがそれに特定するようなものでもない気がする。
メンタルが弱い人は、たしかに腹を下しやすいもんね。単純に精神性の下痢である。
こちらのほうが、確率的に高いしね。まぁ、意図的ではないにしろ、首相=潰瘍性大腸炎という事実は間違いないので、もっと配慮すべきだったろうね…。
ただねぇ、今の安倍さんを見て、難病患者と感じる人が、どれだけいるかなぁ?
かなり健康そのものだし、実際寛解して、ほぼ一般人とかわらんだろう。
私もそうだが、妻ですら、「そういやぁ難病だったね?」と通院のときに確認される始末。なにか機嫌が悪い時は、ケツを蹴られたりもするのだ。。
実際、治療も年一回の大腸内視鏡検査と、二三日に一回のペンタサ座薬で事足りる。そういう意味では、佐藤浩市さんは安倍さん=難病という認識はないのでは?もしくわ忘れてしまっていたのでは?と思うんだけどね。
だから、ぽろっとね失言。
まぁ、過剰に反応する人も多いので、ちょっと配慮にかけたくらい言ったほうがいいのだろうが、どうなんだろうねぇ。
どうでもいい気がするけど。
なぜなら、実際に大腸をとってしまうくらい重い病状の人にとっては、首相の症状なんてチンケなものだ(かつては別として…)。自分と同じと考えないと思うしね。
実際私も、めちゃくちゃ苦しんでる病状の人に比べると、たまに申し訳ない気になるよ。同じ病名名乗るの…。
まぁなにわともあれ、こういうのは、難病の実際の人からの批判発信ではなければ、意味ないもんね。
よくわかってないだろうし、それ以外の人は。
いろいろと語るべきことはあるのだろうが、何だかんだ炎上して、政治劇場のネタみたいになってしまうのが残念なところ。
関係ないけど、潰瘍性大腸炎で「口内炎」が頻発するひとって多いのかな?
珍しいらしく具体的な策がないんだよねぇ。
そうかノルウェーの刑務所だ
電気グルーヴは特に好きでも嫌いでもない。
Twitterで世論に過激に抗する相棒である石野卓球も、なんかちょっと怖いなと感じたくらいだ。
でも、出所してきたピエール瀧と笑顔で写る石野卓球を見た。
そんで、「侵略のススメ」のノルウェーの刑務所を思い出したのだ。
ノルウェーの刑務所は日本のような非健康的な空間ではない。
受刑者たちは、自然豊かな土地で、なんだかゆったりと過ごしている。
この中で、印象的だったのが、「メンタルトレーニングを受けた訓練員と話すことにより優しさを取り戻す」という部分だ。
受刑者に厳しい拘束による罰を与えるのではなく、むしろ、人間に対する優しさや信頼を取り戻させるために、人がやさしく接するのだ。
ちなみに、日本は50%と高い再犯率である。
ピエール瀧との満面の笑顔の画像を見て、あっ、石野卓球がやっているのは、じつは、このノルウェー式ではないか?と思った次第。
もちろん、親友であるからこそであるが、それでも自らがさらされるリスクは高い。
しかし、こういった人が揺るがず側に居てくれるというだけで、再犯の確率はぐっと下がるかもしれない。
特に日本にいると、罰則社会が善だという意識が高い。
しかし、罰則の果ては、ヘマしたら二度と這い上がれない世界である。
反省はもちろん必要だが、反面、許される社会も同じように重要である。
あまり、石野卓球についてなにも考えていなかったのだが、これを意図してやっているのであれば、かなり成熟した人格の持ち主であろう。
海外で活躍できるのもわかる。
少子高齢化でひきこもり大国の日本。
いろいろな、価値観を根底から変える必要があるのかもしれない。
糾弾する社会は排除する社会である。
しかし、排除された人たちも、この同じ土地で生きていくのである。
池袋母子事故の会見がきつい
池袋の高齢者自動車暴走事故がきつい。旦那さんは、よく会見を行ったものだ。見ていてつらすぎる。実際、まだふわふわした段階にあるはずだが、なんとか社会にメッセージをという一心だったのだろう。
未だ実物はベールに包まれている、加害者に対する糾弾の意味もあるのかもしれない。いくらなんでも、謝罪の言葉もないのはおかしい気がするが。
もしかしたら、かなりの権力を持った人間が身内にいるのだろうか?
かなりの憶測を呼ぶ。
当たり前のように、夜は夕食を囲めると思った妻と娘を失うとは…。
絶望は計り知れない。本当の哀しみが襲うのはおそらく、しばらく時間が経過したあとかもしれない。
旦那さんの心のケアも大事だ。
私も15年以上前に、自動車事故を経験した。
そう、加害者としてだ。形上は、信号無視である。
当時の会社の営業車で、中学生の男子をひいてしまったのだ。フロントガラスは蜘蛛の巣のようになった。とても分かりづらい信号機の場所で、なんども事故が起きている場所であると聞いたのは、後日のことだ。
幸い、その中学生は全身に打撲を受けた程度で命に別状はなかった。
中学生の父親はドライバーさんで、多少の理解があり、厳しい責め苦を受けずに済んだのは幸いだ。
しかし、今もあのときの光景は頭にこびりつく。スローモーションのように。
ちょうど、赤信号で停車していた向かいの赤い車。その赤い車の助手席に座っていた女性が悲鳴をあげてこちらを見ていた。その驚愕の表情で、人をひいてしまったことを徐々に理解するあの長い一瞬。
もし、この中学生が死亡していたら…。私は信号無視で、交通死亡事故を起こした加害者である。
おそらく、今の平穏な人生はなかったであろう。
事故を起こした後、救急車で運ばれる被害者を見送り、警察署に行った。
調書を取られる間も、その中学生のことが気になって仕方なかった。
脳をうって死んでしまったら…。実際、打撲とわかってから数週間もいつ電話がかかってきて、急変し死んでしまったらと考えていた。
若い自分には気づかないくらいであるが、その積み重なる不安が、後のうつ病につながったのだろう。
自動車事故においては、被害者と加害者は、一見、真逆だが、いつどちらになるかはわからない。幸いにも、私は人を殺めることはなかった。しかし、運が良かっただけだ。
初めての道であった…や、信号機が見づらかった…など、加害者の自分に寄せたいろいろな言い訳はとめどなく浮かぶ。
しかし、被害者にとっては関係がない。100%落ち度がないのだから。
池袋の死亡事故。この落ち度のない母子の命と夫の未来を奪った罪は大きい。しかし、悲しいかな、この老人はもう長くはない。どこに責め苦をおけばいいか。
はっきりいって、夫にとって社会がどう変わろうが知ったこっちゃないだろう。
妻と子どもを返せ、そう言いたいだろう。でも、あえて、このような問いかけを魂の叫びとして顔を公開してでも、いう。
とても自分にはできない尊い行為だ。
この行為が蔑ろにされない社会であってほしいとのぞむ。
皮ごと食べられる種無しぶどうって遺伝子組み換えしてるの!?
最近スーパーで見かける皮ごと食べられる種無しぶどうが、とても安くそして美味い。
具体的には、「クリムゾン」と「トンプソン」である。まずまずの量で300円くらい。
子どもが大好きで良く食べる。フルーツはお菓子よりいいので、バンバン与えてる。
でも、親だからふと思うことがある。輸入品だから安いのはいいとして…
これ、健康にいいのかい?
種がないって…遺伝子組み換えのサイボーグじゃないのかい?
そういえば、最近成長が悪いような…。あぁ、不安だ。
種無しぶどうは、どうやって作ってるの?
「ジベレリン」という言葉を聞いたことがあるだろうか?私はない。
調べて初めて分かったのだが、我々動物と同じく、植物も内部にホルモンを持っているらしい。
人間の内部にあるホルモンといえば、代表的なのは、インスリンだ。
体内の血糖値を調整する重要な分泌物である。
植物も同じように色々なホルモンを持っている。その中で成長を促すホルモンの1つが「ジベレリン」なのである。
種無しぶどうは、このジベレリン水溶液に、果実がなる前のぶどうのめしべを浸すことでできるのだそう。
~具体的な手順~
- 粉末状のジベレリンを水に溶かし、コップに入れる
- コップにぶどうの房を浸す
- 果実がなるまで見守る
こうやって手間をかけて出来上がる種無しぶどう。
最初に疑ったような遺伝子組み換えではなく、植物が内部に持っているホルモンを使うので、安全というのが一般的な見解である。
ホルモンを投与する。なんだか、筋肉増強剤を投与するようなドーピング感はあるが、本来植物の内部に存在する微量のホルモンなので、安全なのだ。
安心した。
そもそも植物ホルモンってなんだ?
人間でいうところのホルモンは、さきほどのインスリンのほか有名なのはなんだろう?
男性ホルモンや女性ホルモンがまっさきに浮かぶ。
これらは、男性を男性らしく、女性を女性らしく成長させるホルモンだ。
ある意味、成長ホルモンといえる。
逆にインスリンは、体内の血液中の糖分をバランスよく保つことで、病気などにかからないようにする非成長ホルモンだ。
このようなホルモン、かつては植物にはないと考えられていた。
しかし、植物にもホルモンが存在することが研究から解明されたのだ。
植物ホルモンの定義としては、「植物自身の内部で生産され、植物の成長や抵抗を微量で調節する低分子量の有機化合物」とある。
以下は、植物ホルモンの主な種類だ。
種無しぶどうでお馴染みのジベレリンのほか、
オーキシン、サイトカイニン、ブラシノステロイド、エチレン、アブシシン、ジャスモン酸、サリチル酸などがある。
これらのホルモンは、成長系と抵抗系に大雑把に分かれる。
成長系はだいたいわかる。植物を成長させるのだ。
では抵抗系はなんだろう?
別名ストレスホルモンと呼ばれる抵抗系は、なんらかのストレスを受けると発動する。
例えば、
- 雨がふらず乾燥する→
- 内部の水分を失うかもしれないストレスを感じる→
- 気孔を閉じて内部の水分の流失を防ぐ
アブシシンというホルモンが水ストレスを感じると、気孔を閉じる。
これが、ストレスホルモンのわかりやすい働き方である。
主に果物などを作る農家の場合、天候などの理由で収穫にばらつきがあると困る。それを少しでも防ごうと生まれたのが、この成長ホルモンを利用する栽培方法である。
そして、たまたま、成長ホルモンジベレリンをぶどうに使っていたところ、種無しのぶどうができたのだ。種無しぶどうは意図して出来たのではなく、あくまでも偶然なのだ。
ジベレリンは農薬だし、発がん性もあるんじゃないの!?
ジベレリンが植物由来のホルモンであるとわかっても、いやいや、ホルモン投与でドーピングでしょ?ホルモンつってもカテゴリー的には農薬だし…。(農林水産省認定の農薬)
やっぱ、絶対ヤバいよ。
という意見も根強くある…。
その最大の論拠となるのが、エジプトでマウスに「ジベレリン」を与えた実験結果。
なんと、乳腺がんと肺腺がんを発病したというのだ。
これを聞くと途端に怖くなるのだが…。
しかし、危険性を謳う人々の根拠となるこのエジプト実験だが、その後の実証実験も行われておらず、ちょっと証拠としては脆弱らしい。
たまたま出てしまった、みたいなとこもあるのかと…。
種無しぶどうが開発されたのが、1957年。そこから、2019年の今まで50年間、さほどの危険な疑いなく、市場に出回ってるところを鑑みるに、安全であると結論付けてもよいだろう。
よし、皮ごと食べられるぶどうは、安全であると認定しよう。
全部種無しにしちゃえばいいんじゃないの?
ここまでくると、じゃあ、果実も大きくなるし、食べやすいんなら、全部この処理しちゃえばいいじゃない。という気にもなる。
しかし、デメリットもあるのだそう。
まず第一に、このジベレリンの処理が効きづらい品種もある。有名な「巨峰」などがそれ。品種によって感度が異なるため無理にやると手間だけかかってしまい、コスト損である。
また、ぶどうの種は香りの源になるという論もある。つまり、ワインなど香りを楽しむものの原料には種無しは使えないのだ。
余談であるが、ジベレリンは日本人が発見したらしい。
1938年黒沢英一さんという農化学者が、馬鹿苗病(バカナエビョウ)のもとになる菌「イネ馬鹿苗病菌(Gibberella fujikuroi)」の毒素が、ジベレリンというホルモンであるということを発見した。
思えばカビも植物である。このカビが成長するのを助けているのが、ジベレリンだったのだ。
この発見、研究からでてきた植物ホルモンが、1950年代のぶどうの種無し化に役立つのだ。まわりまわって化学って面白いなぁ。
ちなみに、このホルモン剤。市販で買えます!
植物成長調整剤 ジベレリン協和液剤 40ml 価格 800円くらい
種無しぶどうだけでなく、いちごやナス、メロン、トマトなどなど。
成長促進剤として活躍している模様。
農業には全く興味が無いけど、家庭菜園とかやる人には、植物ホルモンというのはお馴染みのものなのかもね。