R太のスパークリング日和

R太です。40代のおじさんです。男女2人の子育てと家事にフルコミット中。 どうにもならない日々のいらだちや喜びを書いてます。

神様の分かち合いに誘われたら…

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比較的宗教的な人々が周りに多い。というか、キリスト教であるが。

でも、私自身は信心はあまりない。

でも、否定はしないし、理解もしている。

そんな私に、分かち合いのお誘いをしてくる年上の知り合いがいる。もちろん、彼は、私のスタンスは理解している。

しかし、時々、このようなお誘いがある。

 

いや、結構久しぶりかな。

 

まぁ、彼の家庭にお邪魔し、一緒に食事をする会だ。他にも誘っているらしい。

その食事の際に、いかに自分の人生に神様が働きかけたかを話してくれるらしい。

はっきりいって、興味がないといえば、ない。

 

彼は奥さんと子どもがおり、私もいる。家庭同士の交流であるが、そこに宗教が絡むとちょっと気が引ける。

 

彼の家族は、クリスチャンである。メジャーな流派である。

しかし、その中でもさらに細分化しており、けっこう急進的なグループらしい。

なので、まあ、信仰心はアツイ。

あからさまに勧められたりはしないが、ちょっと圧迫感はある。

でも、仲がよい人だし、行ってみるかと思っている。

 

なぜなら、子どもたちのためかもしれないと思うからだ。

いろいろな、家庭が世の中にはある。

そして、世界的に有名な宗教と触れ合う機会は、我々世代より、圧倒的に子どもたちに多いかもしれない。

宗教?

こわいこわい。

という閉鎖的な時代はもはや過去。

積極的に触れ合うのもいいのかもしれない、と思うのだ。

 

そもそも、宗教ってなんだろうか?という問いは常にもっているが、私には解けない。

最寄りの駅では、「エホバの証人」や「モノミの塔」などの信者さんが熱心に活動なさっている。

どちらかといえば、人から敬遠される派閥だろう。見た感じ、感じの良い人たちである。

でも、ぱっと見ると、やはりひいてしまう自分はいる。

だって、自分の知り合いが、駅で活動していたらやっぱり、えっ!?て思うもんね。ピンポーンって訪ねてきたら、ちょっときついなって。

 

でも、彼らは、お金のためにやってはいない。まぁ、邪な人もいるかもしれないが、単純に、自分が救われた良いと思うものを、人に紹介したくて仕方ないわけである。


だれだって、こういったボランティア精神はあるでしょ。

料理に使ってよかった道具。これ、いいんだよって人に勧める感覚。

たまたま、それが、宗教ってだけでは?とも思っている。

 

しかし、日本において、やっぱり、オウム真理教が残した宗教への嫌悪は大きいのだろう。

宗教となると、どうしても、それを思い浮かべる。

でも、あんなにヒドイことになったあとでも、オウムはまだ消えていない。底に潜む、宗教の強さというものは無視できないと思うなぁ。

 

そういった意味でも、身近に実害のない信仰心のアツイ人がいるのは、ありがたい。

その人自身をよく知っているがために、自分に害はないしね。

たしかに、不安要素もあるが(分かち合いを振られるなど…)、誘われたからには家族で参加してみよう。

なにより、昔からの知り合いだし、単純に楽しいからねいろいろな人と絡むのは。

 

世界的には、キリスト教などの宗教に対する信心自体が減っているらしい。

そこに来て、聖職者の性虐待問題なども出てきた。宗教に対する信頼は揺らいでいる。

個人的には、死へ直面したときや、重い病や苦痛の時に、捧げる祈りや聖歌。

このバリエーションの多さは、キリスト教の魅力だと思う。

 

なにか究極の状態のときに、一心に祈るという行為ができるのは少しだけ羨ましい。