老人と若者の違いは失敗からの学びの多さである
日本のことがいろいろと決まる政治の場を移した写真にはもれなく、老人の男性たちが多い。
IT系のことさえ、えっ、この人たち詳しいの?という老人たちが並ぶ。
スクリーンショット禁止とかもね。ネットのセキュリティー担当大臣が、USBも知らないとかね。経団連とかも、相当な老人。
主要な企業の重鎮も老人たち。もちろん、功績はすごいと思う。
がむしゃらに働いてきたり、日本を作り上げてきた人々。
しかし、そろそろ引退してもいいんじゃないかなぁ。
スポーツ界を見てみればいい。もはや50代で活躍している人なんていないでしょう。まぁ、レジェンドのカズくらいだ。
プロレスは結構いる。でも、あれもある意味レジェンド。例外ね。プロレスの重鎮たちは、今でも若者を魅了するカリスマ性がある。
まぁそれはいいとして、少なくとも政治や経済の主要な場には、もっと若者がどんどん参加できるようにしてほしい。
かつての老人の役割は、抱負な知識であった。しかし、いまやネットで検索すればあらゆる知識を瞬時に得られる時代だ。老人に聞く人はいない。
あらたな役割が求められるけど、それは新しいイノベーションが求められる、政治や経済の場ではない。
会議なんていくらやったって無駄である。
若者に任せると、もちろんミスや失敗をするだろう。手痛いやつを。
しかし、老いた人もまた失敗を犯す。
しかし、その後の対処が若者と老人では全くちがう。
若者と老人の失敗後の明確な違いは、学びの多さである。若者は、一つの失敗から多くの学びを得る。そして、まだまだ活性化された脳をつかって、次へと修正できるのだ。
政治にしたって、なんか失敗しても、次にもっといい政策ができるはずだ。
会社の経営もそう。
残念ながら、結構な年を食っていると失敗をまず認めない。認めても次に活かさない。というか、活かしている時間がないから、そのまま有耶無耶。
人間にとって、どのくらい自分のライフが残っているかはとても大事である。
残りが多いと、必死に考え修正する。少ないと、そうは行かないだろう。
とにもかくにも、やはり、未熟な若者をもっと大事なステージに起用できるような社会になれば、いいなと思うのだがね。
なかなか、どかないんだよなぁ。
昨今SNSのバカッターとかが流行りだ。こういった子たちにも失敗からの学びをあげてほしい。だって、まだまだ実質のライフは沢山あるんだから。
若者を追い込んだ先にあるのは、通り魔殺人とか、親族殺害とか、凄惨で救いのない光景だ。
社会は自分の周りの子達が楽しければいいわけではない。
自分の愛する子たちが生きていく世界は、追い込まれた子たちが生きる世界と同じだ。
この視点が欠けている人が案外多いのは残念である。
他の子どもたちへの支援が、自分の子たちの支援と同じくらい大事なのだ。