R太のスパークリング日和

R太です。40代のおじさんです。男女2人の子育てと家事にフルコミット中。 どうにもならない日々のいらだちや喜びを書いてます。

人生における180日間の活動休止は、その後の人生にさほどの影響はない

f:id:a-ruta:20190208143457j:plain

十数年前、活動を完全に休止したことがある。約半年間である。
といっても、もちろんバンドやタレントをしていたわけではないので、文字通り人間活動の休止である。


端的にいえば、うつを患い、精神病院に入っていたのである。
比較的順調に歩んできた人生ではあった。まぁまぁ有名な大学を卒業し、新卒で入社。

営業職とはいえ、比較的同僚にも恵まれ不満タラタラながらも給与をもらい、休日は音楽活動。

しかも、彼女あり。
はっきり言って、今で言うリア充である。

しかし、ある日の仕事中、営業車で中学生をひいてしまった。私の信号無視(わざとではない)で、違反である。簡易裁判も経験し罰金30万円だったかな。

幸い、中学生は打撲ながらも、重大な障害などは負わずにすんだ。

謝罪もし、相手方のご両親にも許してもらえた。

まぁ、事故を起こしたとはいえ、不幸中の幸いだったし、そのまま人生は続くわけだ。

しかし、この事故を起こしたときのビジュアル的インパクトが、想像以上に、自らのハートに食い込んでいたらしい。

その後程なくして「資格を取るので」、というよくわからない理由で会社を退職してしまう。


ここからが転落の始まりである。

不眠が始まり、早々に資格試験を放棄。これではまずいと、焦り、派遣会社の契約社員に。ストレスから、全身アトピーが発症。長く付き合った彼女とも別れることになる。

このあたりから、初期のうつ状態に突入。沈んだ心をギャンブルで高揚させようと、パチスロに通う。そして、退職金や給料を散財。親に借金。

まぁ、他色々あるが、ひどいので割愛。

結果的に退職後約一年で、私は精神を病み、真っ逆さまに堕ちていった。
その先の、入院である。

 

入院部屋は、なかなかワンパクであった。お金がないので、個室には行けず4人部屋。

実家でのんべんだらりと暮らしていた私が、いきなり精神を病んだ方たち(自分もであるが)と、同じ部屋で寝起きをともにした。

びっくりするが、カーテンもないオープンベッドである。

もしかしたら、カーテンがあると自殺しても気づかないから、という配慮だったのかもしれない。
ほとんど、一日ベッドで横たわる生活。屍である。

朝・昼・夜はゾンビのように食堂に行き、決まった席で黙々と薄味の食事。

終わったら、マイコップをもって、窓口に並ぶ。

名前を呼ばれ、薬を出され、その場で飲んで、ふらふらと部屋へ帰り、またお眠り。

ひたすら、寝て、起きて、お薬(睡眠薬精神安定剤)生活

そして、いつ終わるともしれない、これの無限ループ。(合間に医師による診察や、親の面会などはある) 

幸い、いろいろな助けがあり、私は180日で退院し、その後うまいこと回復した。

今や、普通に働き、結婚し、子どもも2人いる。とても、幸せな生活に大満足である。

 

しかし、こんな私をみて、過去そんな経験をしたと見破れる人はいない。

比較的、仲良くなった人には、こういった自分の過去は話している。

理由は、その人が精神を病んだときに、気軽に相談してもらえるようにである。

私の周りにはいなかった。

 

もうかなり、昔の話だ。

しかし、精神的な病に悩みつつ頑張ってる人に言いたい。

人生のうちの180日間、病院で屍のように過ごしても、胸板が薄くなるくらいだ、と。

その後の人生で、すっかり盛り返せる

人生を終わらせるのではなく、いろいろ投げ出してでも、立ち止まることが大事だ


自殺者が年々減っているみたいなニュースの影で、若者の自殺は上昇している。
人生の休止は、若ければ若いほどいい。

一度、活動休止して専門機関で屍になってみてほしいな、とおじさんは思うのである。