人生における180日間の活動休止は、その後の人生にさほどの影響はない
十数年前、活動を完全に休止したことがある。約半年間である。
といっても、もちろんバンドやタレントをしていたわけではないので、文字通り人間活動の休止である。
端的にいえば、うつを患い、精神病院に入っていたのである。
比較的順調に歩んできた人生ではあった。まぁまぁ有名な大学を卒業し、新卒で入社。
営業職とはいえ、比較的同僚にも恵まれ不満タラタラながらも給与をもらい、休日は音楽活動。
しかも、彼女あり。
はっきり言って、今で言うリア充である。
しかし、ある日の仕事中、営業車で中学生をひいてしまった。私の信号無視(わざとではない)で、違反である。簡易裁判も経験し罰金30万円だったかな。
幸い、中学生は打撲ながらも、重大な障害などは負わずにすんだ。
謝罪もし、相手方のご両親にも許してもらえた。
まぁ、事故を起こしたとはいえ、不幸中の幸いだったし、そのまま人生は続くわけだ。
しかし、この事故を起こしたときのビジュアル的インパクトが、想像以上に、自らのハートに食い込んでいたらしい。
その後程なくして「資格を取るので」、というよくわからない理由で会社を退職してしまう。
ここからが転落の始まりである。
不眠が始まり、早々に資格試験を放棄。これではまずいと、焦り、派遣会社の契約社員に。ストレスから、全身アトピーが発症。長く付き合った彼女とも別れることになる。
このあたりから、初期のうつ状態に突入。沈んだ心をギャンブルで高揚させようと、パチスロに通う。そして、退職金や給料を散財。親に借金。
まぁ、他色々あるが、ひどいので割愛。
結果的に退職後約一年で、私は精神を病み、真っ逆さまに堕ちていった。
その先の、入院である。
入院部屋は、なかなかワンパクであった。お金がないので、個室には行けず4人部屋。
実家でのんべんだらりと暮らしていた私が、いきなり精神を病んだ方たち(自分もであるが)と、同じ部屋で寝起きをともにした。
びっくりするが、カーテンもないオープンベッドである。
もしかしたら、カーテンがあると自殺しても気づかないから、という配慮だったのかもしれない。
ほとんど、一日ベッドで横たわる生活。屍である。
朝・昼・夜はゾンビのように食堂に行き、決まった席で黙々と薄味の食事。
終わったら、マイコップをもって、窓口に並ぶ。
名前を呼ばれ、薬を出され、その場で飲んで、ふらふらと部屋へ帰り、またお眠り。
そして、いつ終わるともしれない、これの無限ループ。(合間に医師による診察や、親の面会などはある)
幸い、いろいろな助けがあり、私は180日で退院し、その後うまいこと回復した。
今や、普通に働き、結婚し、子どもも2人いる。とても、幸せな生活に大満足である。
しかし、こんな私をみて、過去そんな経験をしたと見破れる人はいない。
比較的、仲良くなった人には、こういった自分の過去は話している。
理由は、その人が精神を病んだときに、気軽に相談してもらえるようにである。
私の周りにはいなかった。
もうかなり、昔の話だ。
しかし、精神的な病に悩みつつ頑張ってる人に言いたい。
人生のうちの180日間、病院で屍のように過ごしても、胸板が薄くなるくらいだ、と。
その後の人生で、すっかり盛り返せる。
人生を終わらせるのではなく、いろいろ投げ出してでも、立ち止まることが大事だ。
自殺者が年々減っているみたいなニュースの影で、若者の自殺は上昇している。
人生の休止は、若ければ若いほどいい。
一度、活動休止して専門機関で屍になってみてほしいな、とおじさんは思うのである。