R太のスパークリング日和

R太です。40代のおじさんです。男女2人の子育てと家事にフルコミット中。 どうにもならない日々のいらだちや喜びを書いてます。

小さい力を身につけるときの方法論

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昔は飽き性でおなじみだった私。しかし、30歳を過ぎる辺りから、「継続は力なり」という格言が好きになった。むしろ、なにかを、身につけるには継続以外にはないと思うに至っている。

私の身につけた小さな力一覧

私が身につけた小さな力は以下。プロ並みとかではなく、あくまで小さな力である。

  1. 英会話でおどおどしない力
  2. ジョギングで3km走り通す力
  3. 95%の確率で朝5時に起きる力
  4. コードをみてギターをつまびく力
  5. 標準的なデザインのチラシを作る力
  6. 台所の食器をすぐに洗う力

 ざっと書いただけで、この6大ミニマムパワーが私に身についている。

小さいからといって、侮ることなかれ。きっと、一つ一つやってみると、なかなか簡単ではない。

 英語でおどおどしなくなるまでの道のり

1の英会話の歴史は長い。ズボラだった私は、「英語は絶対勉強するな」というなんとも、心惹かれるタイトルの本を買った。その文言に従って、英語を勉強し始めたのが、15年以上前。

今思えば、タイトルとは真逆の、マッチョな勉強法を推奨するこの本。

きみは飽き性だから、「不退転」という言葉を肝に銘じて。人生が変わるから。この言葉は、ドロップアウト入院して社会に舞い戻ってきた私に、気学の伊藤さんという先生が言った言葉。なぜか、このとき、心を貫いた。

以来、やり始めたことはやめない。これを実践した。とはいえ、今考えるとこの勉強法は超きつかった。しかし、盲目的にかなりの期間やったので、聞き流しラーニングなどという軟弱な勉強法をせずにすんだ。
英語の勉強は迷走していた。日本人の英会話先生の教室、週一回。上達しない。

紆余曲折を経てたどりついたのが、オンライン英会話ラングリッチ。この分野では老舗であろう。英語しか話せない環境は、憧れていた。が、実際には最高にきつかった。

それまでの英語勉強の蓄積もまったく通じず、ショックを受けたりも。
それでも、とにかく、やり続けた。そして、現在である。
ラングリッチからDMM英会話にうつったものの、オンライン英会話歴10年近い。あくまで日常会話レベルだが、英語しか通じない環境で、外国の人(主にフィリピンの方)と話すことになんの緊張もしなくなった。街を歩いていて、英語で道を聞かれて答えること、複数回。楽勝である。

朝活とジョギングで生まれた快楽

2と3の力は、子どもが生まれたことに関係が深い。育児をし始めると、自分の時間がまったくなくなる。それまで、英会話やいろいろ、アフター5に楽しんでいたが、いまや、仕事から帰り、家事育児フル活動。
こりゃいかんと、早起きをすることにした。朝は、絶対に時間が確保できるからだ。
これが、最初はきつかった。起きるがきつい。そこで、5時の目覚ましで飛び起きたら、はちみつ舐めて、速攻、外を走る。これを習慣化した。
ハードだが、これがよかったみたい。走って帰ってきて、シャワーを浴びる頃にはなんだかしらないけど、気持ちいいアドレナリンが放出してんの。

英会話や家事など、いろいろなことが、妻や子どもが起きてくる間にできる。妻には感謝されるし、アドレナリンでるし、健康になるしで一石三鳥である。
走るの、たった3kmかよっ!と思うことなかれ、けっこうきつい。最初は、道中2回は歩いていた。しかし、現在は、3km休まずに走れるのだ。これは、個人的にはすごいと思う。
なにか不審者に追われた時など、スピードはでなくても、3km走り続けてみてほしい。確実に逃げ切れるだろう。

ギターの挫折が教えてくれること

さて4の力。基本的に何かを身につける、という基礎は、二十歳のときに学び始めたギターから体得したと言っていい。やったことのある人ならわかるだろう。ギターの習得は挫折の連続である。私も、2回くらい挫折した。

ギター練習はフィジカルの苦痛(指が痛い)を伴う。それに加えて、うまく音がならないストレスもある。頭でコードを理解しても、体で再現するのは至難の業である。

しかし、何度も何度も挑戦しているうちに、ある時ふっと上達が訪れる。ここまでの道のりを乗り越えると、あとは、自然と技術が身につくのだ。
「楽しくなきゃ続かない!」これは真理である。しかし、楽しさはやり始めてすぐには訪れない。楽しさというステージに乗るまでは、結構苦しいフィジカルトレーニングをせざるを得ない。この事実は、私の基礎となっている。

もう一つ重要なのがメンターとの出会いである。メンターとは、簡単に言えば導き手である。

良きメンター(指導者)は本でもいい

5のデザインではまさにメンターが必要であった。三十代のおっさんになって、それまでやったことのない、商品宣伝用のチラシを作らされることになった。イラストレーターを用いて独学で作ったそれは、とてもひどかった。当たり前だ。

そこから、幾度も作っていくが、やはりきっつい。デザインにおいて、自分が自分にダメ出しをせざる負えないことほどきついことはない。それでも、市場には出回る。
そんなある時、「ノンデザイナーズ・デザインブック」という本に出会った。

デザイナーじゃない人のデザインの教科書(直訳)だ。今まで作ったものを、この本の教えどおりに配置してみると、どうだろう?びっくりするほど、良くなった。それは、頭の中で「劇的ビフォーアフター」のテーマ曲が流れるほど。
この改善以来、私のデザインは、かなり平均レベルになった。なにを作ってもある程度は大丈夫。
メンターは人であり、一冊の本であり、なんでもいい。投げ出さず、継続していると、メンターは突然あらわれることがある。

皿洗いの一流は家事の一流である

さて、6である。自慢じゃないが、一人暮らしのとき、台所の食器を一週間洗わないのはザラだった。食器にはびこる各種の、カビを閲覧した人間である。いまやどうだ。

自然に体が動いて洗い物をしてしまう。しかも、好んでやるのだ。妻からのお礼とかいらない。
なんか、食器がどんどん片付くと、気持ちいいからだ。これも、出産を機にやらざるを得なくなって、続けてきたからにほかならない。
どんなことでも、たとえ嫌なことでも、続けていると発見がある。もちろん、他の家事も無難にこなす。

皿洗いというのを突き詰めると、どの家事もできてしまうのだ。一流のアスリートはどの分野にいっても、一流である。みたいなことであろう(?)。

年始の目標はたてない!

ということで、継続し小さな力を身につける、これはシンプルでいて奥深い世界である。
ひとつ、私が肝に銘じていることがある。
「年始に、今年は~をやる!という目標をたてない。」
これは案外やりがちだ。しかし、継続は、永遠である。やりはじめたら、絶え間なくその時なのである。下手に、テンション上げて、やる!というと年末には後悔に変わるだろう。

淡々と継続して、振り返ったらけっこう登ったなぁみたいなのが、いい。

登山的感じね。
それと、一度身につけた力は、案外落ちない。体感だけど、英語は2ヶ月やらなくても大丈夫。ギターにいたっては、1年くらいやらなくても出来なくなることはないなぁ。早起きもしかり。
こういう特技にもならないくらいの力は、いくつも持てる。これからも、さらなる力を身につけたい。
ちなみに、今狙ってるのはプログラミング。もう、2回挫折中。今までの経験からここからが、勝負!!