タイムスリップして人生をやり直すときの大問題
自分の人生は最高だ!そう思える人ならいいが、そうでない場合は、タイムスリップとか憧れるかもしれない。しかも、自分の記憶を保持したまま戻るのだ。
よくあるのが、競馬とか株式とか、当たる馬や銘柄を覚えていて、戻っておお金をせしめるというのがある。
未来警察とかが来ないのなら、やっぱり、お金の面でそういうことをしたい!
経済的な不安が解消されれば、かなり生きやすくなるしね。
具体的に想像してみる。十年前にタイムスリップ。
その頃といえば、結婚したばかりだ。さて、この記憶を保持したまま何をするか?
はっきりいって、とくにやることはない。
爆発的にあがる株を知っているわけではない。ギャンブルも知らない。
あえてメリットがあるとすれば、記憶のある妻とのトラブルを避けるくらいか…。
うーん、しょぼいな。
社会的には、この十年の間に、いろいろな災害やら事件が起こり命が失われている。
そう考えると、記憶を保持しているだけに、助けに行かなきゃとかいう気分になる。
東日本大震災の現場で、「おおーい、津波が来るから逃げろー」と叫ぶのか。
信用する人はほとんど、いないだろう。変人扱いだ。逮捕されるかもしれない。
こころもとないな、タイムスリップって。
それとは別で、タイムスリップには大問題がある。
「アバウトアタイム」という映画に出てきたあるシーンだ。
タイムスリップして、戻ってきたら、記憶にない子どもが目の前にいるというものだ(男の子が女の子になっていたんだっけ?)。
そう、たとえ、妻と付き合う前に戻ろうと、妻という存在はこの世界に存在する。
うまいこと、演出し、また付き合い、結婚するところまで持っていける可能性はある。
しかし、まったく同じDNA配列をもって、今の子が生まれてくる可能性は、ほぼ皆無だ。
そう、タイムスリップして、同じ時期くらいにセックスをしても、同じ子どもが生まれてはこない。この事実は、結構、衝撃的だ。
タイムスリップ後、いまとは別の子どもたちを育ててる私。
その子達は、おとなしく育てやすい。顔も可愛いかもしれない。
でも、絶対にいやだな。
タイムスリップって、この世界に存在しているものを変えるのはできるけど、その時点で存在していないものは、抹消されてしまう可能性があることなんだなぁ。