いいことしたあとの、ちょっと悪いこと(モラル・ライセンシング効果)について
こんな経験ないだろうか?
アルコールが体によくないという知見を得る。そして、毎日飲んでいたお酒を平日は控える。
そんで、ご褒美として週末浴びるように酒を飲んでしまう。結局、酒量が増す。
私は、経験がある。
これは一般に"モラル・ライセンシング効果”というらしい。
人は良いことをすると、いい気分になり、その衝動でちょっとくらいの悪いことは構わないと思ってしまうのだ。
このモラル・ライセンス効果という言葉。
「スタンフォードの自分を変える教室 ケリー・マクゴニガル 著」にて初めて知った。
本には、こうある。
私たちは、相反する欲求を持っている場合、よいことをすれば、ちょっとくらい悪いことをしてもいいだろうと思ってしまうわけです。
「スタンフォードの自分を変える教室 ケリー・マクゴニガル 著」より
つまり、私は「いやー、アルコールはよくないわ。翌日、頭重くなるし、健康にも悪い。長生きしたいし、やめとこうか」という欲求を持っている半面、
「いやいや、飲みたいよぉ、仕事と育児家事の息抜きにちょっと飲んでもいいじゃない?」という欲求も持っている。
これは相反する欲求であり、よいことと、ちょっと悪いことなのだ。
もう、この時点で、完璧にモラル・ライセンシングの型にハマったと言える。
驚いたのが、職業にもこれが適用されるということ。
世間一般でモラルが高いと信じられている人々(牧師や神父、教師、モラル意識の高い政治家、ジャーナリストなど)が陥りがち。
カトリックの神父の幼児性虐待問題。
最近では、ジャーナリスト広河隆一の性暴力問題もあった。
かつて少年マガジンを読んでいた私としては、広河隆一の監修するマンガをよく読んでいた。大変ショックである。
こういった、モラルが高くやっていることが崇高な人間ほど、相反する欲求も強いのかもしれない。こんなに、いいことしてんだから、ちょっとくらいいいだろうと。
「がんばったんだから、ちょっとくらいご褒美がなくちゃ」
これは誰もが、考えることである。
しかし、頑張った行いを帳消しにする悪い行いをしたがるのも、また人間の本質であるらしい。奥深いなぁ。
私は、仕事のある平日は朝5時に起きて、ジョギングをして、その後オンライン英会話をする。その後、いろいろと家事をやって子供の弁当まで作るハッスルぶりである。
朝早く起きるのは、普段、子供の相手などをすると自分の時間が取れないからである。
私にとっては少々無理してでも朝起きて、時間をフルに有効活用するのが、充実感を感じるときである。
しかし!
たまに、妻が子どもを連れて実家に行ってくるときがある。
完全なるフリータイムの到来である。
私はなにをするか。
以下、私の一般的なフリータイムの過ごし方。
朝から酒を飲んで、エッチな動画をみる。これで、一日が終了である。
朝活の限られた時間を活用している同一人物とはとても思えない。
おそらく、これもモラル・ライセンシング効果のなせる業であろう。たいてい、この自由時間が終わったあと、私は後悔する。なんて無駄な一日だったのかと…。
厳しい節制を強いると、怠惰というご褒美がほしくなる。
この人間的な本能を防ぐ手立てがあるらしい。かなりシンプルだ。
自分に「なぜ」と問うこと。
なぜ、私はこれをやっているのか、その本質を深く思うことである。以下引用。
気晴らしをすることが、自分自身のよい行動に対する最高の見返りだと思うようになってしまうと、自分にとって最も大切な目標を忘れ、誘惑に負けてしまうのです。
「スタンフォードの自分を変える教室 ケリー・マクゴニガル 著」より
そう、アルコールを飲まないの最高の見返りは、健康寿命を伸ばし、家族とともにできるだけ長く、楽しく過ごすことである。
朝活を頑張るのは、副業などへのステップアップやスキルをあげて、できることを増やすためである。
決して、怠惰なご褒美をより楽しむためではない!
そういうことを考えていくと、ご褒美はもっと先にあると考える必要がある。
まぁ、とはいえストイックになりすぎるのもストレス溜まるんじゃない?たまには怠惰もいいよぉ、と考える声が自分の中で聞こえる。
しかし、先の本によればいいことをしようとする心にストッパーをかけるのも、人間の性質からくるとのことである。お前、なにをいい子ぶってんだと。
モラル・ライセンシング効果って、とても人間味あふれる性質ではある。
しかし、自分をよく変えていきたいと願う人間にとっては、悪い性質にほかならない。
なにか発展的なことをしようとする自分を阻害する思いが浮かぶ時、あぁこれは「モラル・ライセンシング効果」やなーと余裕をもって考えよう。
これを知っているのと知らないのでは雲泥の差がある。