R太のスパークリング日和

R太です。40代のおじさんです。男女2人の子育てと家事にフルコミット中。 どうにもならない日々のいらだちや喜びを書いてます。

経験からして体罰がまったく身にならない理由

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「やめてーー、あつい、あつい。あついからやめて。もうしないからっ」

とめどなく流れる涙。腕を抑えつけられたその上に、母がのる。

 

その手にはマッチ棒。

 

擦ったマッチ棒に火がぼうっとつき、それを母が吹き消す。

ほどなく、僕の指に押し付けられるマッチ棒。


「ああっ、あついよう」

指に押し寄せる痛みに、涙する。これは、痛みの涙。さっきのは恐怖の涙。

 

その後の記憶は、ひたすら水ぶくれした指を撫でている記憶。

ブヨブヨとした指を撫でている。

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これは、私が子供のときに起こった出来事である。

母が、私にしたお仕置き(しつけ)である。

 

さて、家庭内での体罰を禁じる法案ができるとか。

headlines.yahoo.co.jp

 

私は、基本的にしつけと称する体罰には大反対の位置にいる。

母親から受けたマッチ棒が、その最大の原因だ。
 
このお仕置きの記憶は鮮烈だ。いまだに記憶に生々しい。
母は、一度しかやってないという。しかし、私は何度もやられた記憶がある。
 
姉もこのマッチ棒はやられていた。
このマッチ棒、いまだと最大級の虐待事項だろう。
最悪だ。
しかし、もっと最悪なのは、
自分が「なぜ、その体罰を受けたか」を全く覚えていないことだ。
  
そうただただ、恐怖と熱さだけしか残っていない。
 
人の脳は、快楽よりも苦痛や恐怖をよく覚えている。それは、生存本能だ。
恐怖を覚えておくことで、再度の危険を回避するためだ。
 
例えば、ストーブに触ってやけどした思い出。
同じ火傷でも、これは、高温のところに手を出すと、やけどする。という因果関係がある。 
 
しかし、母から受けたマッチ棒はどうだろう?
 
因果関係を全く覚えていない。
私は何をしたために、こんなにひどい目にあったのか、わからない。覚えていない。
 
ただ、恐怖と苦痛だけがそこにある。
 
これは、どう考えてもよくないだろう。
 
因果関係が分からないという事は、なぜその躾けを受けたか理由が分からないという事である。
理由がわからないのに、恐怖だけを持つ。
何かやれば、また手を火であぶられる…。
結果的に、消極的な人間の出来上がりだ。恐怖で縛られた人間は消極的になる。
 
母が持つ私の印象は、おとなしくていい子である。
 
でも、自分の息子をみていると、果たして本質は違ったのではないかと思う。
息子は、わんぱくで落ち着きのない子だ。
体罰は基本的にはせず、(たまにしてしまうのだが)のびのび育てているつもりだ。
 
この子に、私が受けたような、マッチ棒お仕置きをするとどうなるだろうか。
おそらく、すっかり性格が変わってしまうのではないだろうか?
 
躾けと称する体罰を肯定する人がいるが、はっきり言おう。
体罰の痛みや恐怖が、怒られた理由を消し去る。

その後に残るのは、嫌悪と恐怖だけである。

 

そして、それは、永久に続く。

毒親になりたくなければ体罰は今すぐやめよう。