R太のスパークリング日和

R太です。40代のおじさんです。男女2人の子育てと家事にフルコミット中。 どうにもならない日々のいらだちや喜びを書いてます。

池袋母子事故の会見がきつい

池袋の高齢者自動車暴走事故がきつい。旦那さんは、よく会見を行ったものだ。見ていてつらすぎる。実際、まだふわふわした段階にあるはずだが、なんとか社会にメッセージをという一心だったのだろう。

未だ実物はベールに包まれている、加害者に対する糾弾の意味もあるのかもしれない。いくらなんでも、謝罪の言葉もないのはおかしい気がするが。

もしかしたら、かなりの権力を持った人間が身内にいるのだろうか?

かなりの憶測を呼ぶ。

当たり前のように、夜は夕食を囲めると思った妻と娘を失うとは…。

絶望は計り知れない。本当の哀しみが襲うのはおそらく、しばらく時間が経過したあとかもしれない。

旦那さんの心のケアも大事だ。

 

私も15年以上前に、自動車事故を経験した。

そう、加害者としてだ。形上は、信号無視である。

当時の会社の営業車で、中学生の男子をひいてしまったのだ。フロントガラスは蜘蛛の巣のようになった。とても分かりづらい信号機の場所で、なんども事故が起きている場所であると聞いたのは、後日のことだ。

 

幸い、その中学生は全身に打撲を受けた程度で命に別状はなかった。

中学生の父親はドライバーさんで、多少の理解があり、厳しい責め苦を受けずに済んだのは幸いだ。

しかし、今もあのときの光景は頭にこびりつく。スローモーションのように。

ちょうど、赤信号で停車していた向かいの赤い車。その赤い車の助手席に座っていた女性が悲鳴をあげてこちらを見ていた。その驚愕の表情で、人をひいてしまったことを徐々に理解するあの長い一瞬。

 

もし、この中学生が死亡していたら…。私は信号無視で、交通死亡事故を起こした加害者である。

おそらく、今の平穏な人生はなかったであろう。

事故を起こした後、救急車で運ばれる被害者を見送り、警察署に行った。

調書を取られる間も、その中学生のことが気になって仕方なかった。

脳をうって死んでしまったら…。実際、打撲とわかってから数週間もいつ電話がかかってきて、急変し死んでしまったらと考えていた。

若い自分には気づかないくらいであるが、その積み重なる不安が、後のうつ病につながったのだろう。

 

自動車事故においては、被害者と加害者は、一見、真逆だが、いつどちらになるかはわからない。幸いにも、私は人を殺めることはなかった。しかし、運が良かっただけだ。

 

初めての道であった…や、信号機が見づらかった…など、加害者の自分に寄せたいろいろな言い訳はとめどなく浮かぶ。

しかし、被害者にとっては関係がない。100%落ち度がないのだから。

 

池袋の死亡事故。この落ち度のない母子の命と夫の未来を奪った罪は大きい。しかし、悲しいかな、この老人はもう長くはない。どこに責め苦をおけばいいか。

はっきりいって、夫にとって社会がどう変わろうが知ったこっちゃないだろう。

妻と子どもを返せ、そう言いたいだろう。でも、あえて、このような問いかけを魂の叫びとして顔を公開してでも、いう。

とても自分にはできない尊い行為だ。

この行為が蔑ろにされない社会であってほしいとのぞむ。