R太のスパークリング日和

R太です。40代のおじさんです。男女2人の子育てと家事にフルコミット中。 どうにもならない日々のいらだちや喜びを書いてます。

予防医療はネガティブ思考からくる

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予防医療という考え方が好きである。

結婚して幼い子を持つ中年になったことと無関係ではないだろう。何を隠そう、若いときは、無様に老いるくらいなら死んだほうがマシ、みたいなロックンロール的価値観を持っていた。まぁ、多くのティーンエイジャーたちと同じということだ。

非刺激的な毎日

そう、昔の自分が今の自分をみたら、無様に老いていると思うかもしれない。不倫などして刺激的な毎日を送ってもいなければ、夢を追いかけているわけでもない。

自由にできる金も、びっくりするほどない。これは、普通にきつい。

若いときの自分がみたら、なにこれ?死んだほうがマシじゃない、だろう。(言い過ぎ…)

しかし、自分の愛する家族をもつということの真の意味を、若さは知らない。

今の思い。死にたくない。これだけである。ロックンロールとは程遠い。

でも、子供の成長や妻の老いを見届けたいじゃない。

いわんや、彼らの非常時には、おおいに助太刀したい。こんな思いである。

私の三大予防医療

生命の維持に大事なのは、もちろん健康である。

いま、私が健康を損ねてみよう。職を失い、収入が絶たれ、さらに、家族は私を放っておけないので、介護せざるを得ない。

これは、私にとってなにより、苦痛なことである。

ということで、私の取り組む予防医療である。

  1. 検査
  2. 運動
  3. 家事・育児

この三点だ。はっ?

って感じであろう。なんの変哲もない。しかし、これなのだ。

1.検査 何もないことにお金をかける

予防医療における検査とは、会社で行う年に一回の健康診断ではなく、自主的に行う、検査である。

これを定着させるのは意外に大変である。お金や時間がかかる割に、成果がないのだ。

検査の多くはなにもないことの確認

成果というのは、つまり、体に初期のがん細胞が発見されるとかいうことである。

つまり、検査の成果は、病理の発見である。

しかし、多くの場合、何もない。

この前、ホリエモンの本に刺激されて、ピロリ菌検査を行った。amazonで検査キットを買って、3500円くらい。そして、結果は陰性。つまり、いなかった。

やろうが、やるまいが、体にはいないのである。これを、損したと捉えると予防医療はやっていられない。
私は、直腸型の潰瘍性大腸炎患者であるので、年に一度大腸の内視鏡検査をやっている。

この病気は、大腸がんの発がんリスクが、普通の人に比べて高いからである。とはいえ、この難病も寛解期で、毎回、きれいな大腸を見て、医者にきれいですね、と言われるだけである。

金もかかるし、止めてもなんの問題もない。しかし、年に一回はやることにしている。

なる前のコストとなった後のコスト

予防医療というのは、総じて、心の持ちようであろう。

検査するということに、抵抗感を抱かないということが大事である。検査を嫌がる人は、体の違和感をかなりの時期まで放っておく。

しかし、私のように、ルーチンワーク的に検査する人は、きっと、早期に発見する可能性が高い。

大腸がんといえば、今井雅之さんである。

彼は、生来の屈強な体があるゆえに、健康診断などを全く受けなかったという。検査の大切さを、ガリガリになった見た目で訴えてた姿は、痛々しかった。

総じて、命の危機に瀕した人ほど、検査の大事さ訴える。

しかし、皮肉にも遅いのである。
あと、予防医療的観点として、コスト面もあげられる。検査って、内視鏡検査もそうだけど、三割負担でも15,000円とかして、薄給の身には痛い。

小遣いが吹っ飛ぶのでね。

しかし、がんになった後、治療をする金額を考えれば雀の涙ほどである。そういう意味でも、視点を広めに持てば、予防医療的な検査は誰もがすべきだと思うなぁ。特に、家族がいる人はね。

2.運動 私は心臓発作で死にたくない

定期的に走っている。3キロを20分くらい。これを週4回。

海外のヘルス関連ニュースや、健康に関する書籍に必ず出てくるのが、運動の健康効果である。とくに、有酸素運動であるジョギングは、心臓発作などを防ぐのに有効だ。

「天国からの手紙」の突然死する父親

少し前に、江原啓之の「天国からの手紙」という番組の動画を懐かしい気分で見ていた。

突然、死んでしまった肉親が、江原さんを通してメッセージを送ってくるというやつだ。かの霊能力には賛否両論あろうが、私は結構好きで当時から見ていて、単純なので感動したりした。

最近再度見直してみて、気がついたことがあった。

父親の突然死が多いのだ。

びっくりである。しかも、自分の予備知識と江原さんのメッセージをあわせてみると、どうやらこの突然死、ほぼほぼ心臓発作である。

心臓発作で突然逝ってしまった父親のメッセージが欲しくてたまらない妻とこどもたち。

あまりにも、不憫すぎる。

毎日が有酸素運動のチャンス

天国からの手紙は、図らずも、突然死することの罪深さを、私に語ってくれた。

心臓発作が原因で亡くなる中高年は、想像しているより多い。そして、これを防ぐのが運動だというのは、科学的に確かである。

もう、やるしかないのである。

走るだけ。

もっともお金がかからない予防医療である。

余談であるが、トレーニングジムなどでお金をかけてトレーニングするのも、もちろんありだ。しかし、私は、外を走るだけ。

ある文言をどこかで読んだ。「ジムでトレーニングしてるくせに、なぜ、エスカレーターに乗り、座席に座る?」

たしかに、日常のすべてが運動であると考えると、その切り換えは必要ないだろう。

私は、ジョギングしてる日は、階段を登るし座らない。合理的に生きている気がする。

お金がないからジム行けないんでしょ?

断じてそんなことはない。日常がトレーニンだからだ。(強がり)

3.家事・育児 情けは人のためならず

予防医療なのに家事・育児ってなに?と思うだろう。

全く関係なくみえるが、じつは私が最も力を入れている予防医療である。

自分のための家事育児

「情けは人のためならず」よく聞く諺である。

私も途中まで勘違いしていたが、情けは人を甘やかすという意味ではない。「情けをかけると、自分に返ってくる」という意味で、善行のブーメラン性を語っている。

家事・育児をバリバリこなすことによって、助けられる人がいる。妻である。

家庭において、妻・母親の役割は唯一無二である。ここが欠損すると、家庭は一気に立ち行かなくなる。

家事育児にフル回転した妻が、ある日、ぽっくり逝ってしまったらどうだろう?または、ノイローゼになって精神科に入院したら?

すべてのことを、夫で父親である自分がやらなくてはいけなくなる。

その労力は半端ではない。というかすごすぎて、想像できない。いともたやすく、体を壊し、下手したら、自分も早死してしまう。検査・運動、こんなのも、家庭の第一責任者である妻がいるから、余裕をもってやれるといえる。

なので、私は家事を厭わない。感謝とかもいらないかも。だって、家事は人のためならず、(自分のため)だもんね。すべては遠巻きに自分につながっている。

そこに気がつくと、へんなプライドや自意識は霧散する気がする。

家庭内暴力の防止

それと育児。

これも、妻の負担を減らすのに一役買うことではあるが、もっと長い目で見ている。

将来、子どもが家庭内暴力を起こさないように、今のうちにたっぷり関わるのだ。

はっきり言って、青年になった息子の腕力にはかなわないだろう。娘の場合はさらにタチが悪い。悪い男と付き合って、夜、帰らない。その男と、初老の私が対決。ボコボコにされる。こういうこともあるだろう。

あくまでも想像だが、子供の反発の原因は、父の育児への関わらなさが一因ではと思う。

父親って、幼い時さほど関わってないのに、受験や就職、結婚など人生の重大局面になると、あぁオレの出番ね…。とばかりに、しゃしゃり出てくる。

そんでもって、たいして子供のことわかってないから、プライドをずたずたに切り裂くようなこと言ったりして、そんで、したり顔。こういうのは避けたいのね。

話がそれたが、ある意味、育児に全力投球することは、自分の将来の衰えた体への労りである。

とここまで考えてくると、もはや私の予防医療は、この異常なまでのネガティブ思考から来てることに気づく。

こうなるの嫌だから、いま、頑張っとくみたいな。

ははぁ、なるほど。

そう、世の中は怖いことが多い。それを唯一回避するのは、ネガティブ(臆病)思考である。そうやって人間は進化してきたのだろう。

ちなみに、食物も予防医療には重要だが、あえてやってるのは「トマトジュース」を頻繁に飲むことくらいだ。